1989年のまとめ情報

1989年』by Google Ads

            

1989年』の解説

和暦では年始から1月7日までの7日間が昭和64年、翌1月8日以降の358日間が平成元年である。

世界史的には、「近代」と「現代」の境の年として捉えることがある。

他の紀年法

※平成元年は、平成1年とも表すことができる。

※主体暦は、朝鮮民主主義人民共和国1997年に制定された。

出来事

1989年のテレビ

1989年のアニメ

1989年の音楽

1989年のゲーム

1989年の文学

1989年の流行語

1989年のファッション

天候・天災・観測等

台風は日本の東海上で温帯低気圧へと変わり、翌9日には日本列島は強い冬型となり、東日本北日本の山岳部では初雪が観測された。富山県立山連峰では8人が疲労凍死する山岳遭難事故が発生する。

1月

2月

3月

4月

5月

6月

7月

8月

9月

10月

11月

12月

月日不明

4月-6月

10月-12月

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コーディネート

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昭和史 〈戦後篇〉 1945-1989

戦後日本のいくつもの転換点

(参考になった人 11/22 人)

本書を読みながら感じたことは、日本人は戦後処理等目前にある危機へは柔軟で現実的な対処が出来てきたものの、バブル崩壊への対応等にみられるように、自らの失敗についてこれを率直に認めるできず、さらなる失敗を引き起こしてきた日本人の悪しき性癖である。筆者はこれに対するには、小さな箱から出る勇気と大局的な展望能力をもつべきことを強調する。戦後史を通して今の政治・経済情勢の背景を把握したく思われる方に本書をお奨めしたい。

前作に比べややインパクト不足

(参考になった人 14/27 人)

実際には1972年までのお話。それ以降は「現代史でまだ評価が定まっていない」からとかなんとか理由をつけて多くを語らず。 それ以前の話にしても、結局は半藤氏の視点を通して語られる以上「色」がついていることに変わりありません。この際「浮世のしがらみ」を無視して、もっと語って欲しかったです。その分星1つ減点です。 半藤さん、今年でもう76歳ですよ。

現役でいられる時間も長くありません。(失礼!)何を話しても/書いても、あなたに文句言う人は誰もいないと思います。 いずれにせよ、一読の価値はあります。

書く前に読もう超明解文学史―ワセダ大学小説教室

書かなくても読もう

(参考になった人 14/18 人)

小説を書きたい人のための書き方講座、ということに一応はなっていますが、そんなことには全く興味がない人にもおすすめです。文学史と言えばたいして説明もされずただただ暗記させられた、という人が多いのではないでしょうか。この本に関してはそのようなことはありません。なぜその時期にその作品が書かれたのか、社会的状況との因果関係から三田さんが語ってくれ、読み物としての面白さがあります。

また、当然の事ながら、たくさんの作家・作品が紹介されるので、新しい本との出会いになること間違いなし。ただ、講義の再現ということで、まさに「語る」スタイルなのですが、そのあたりで好き嫌いが分かれてしまうかもしれません。特に受験生は学参の『実況中継』シリーズを連想するかも。何はともあれ一読を。読めば必ず読んで良かったと思うはずです。

わかりやすい現代日本文学史

(参考になった人 4/4 人)

近代・現代の日本文学史について書かれた本です。特に第二次世界大戦後の現代文学に重点がおかれており、主要な作家を網羅しています。現在活躍している作家が、どのような「世代」に属し、どのような作品を書いているかが簡潔明解に解説されています。

大学での講義がベースになっているため、わかりやすくかつ読んで面白い構成になっており、初学者のための現代文学史解説書としても役立つでしょうし、これから現代日本文学を読んでみようという人の読書ガイドとしても好適だと思います。

上野千鶴子が文学を社会学する

文学プロパーにありがちな、重箱の隅をつつくようないわば「お決まりの」文学論ではなく、上野氏の鋭い(容赦ない?)批評がこれでもかといわんばかりに展開されている本です。内容は高齢化問題など時代の波をうまくつかんでいて、さすが社会学者だと唸らせるし、文学論としても申し分ないと思います。文学プロパーにはもちろんのこと、あまり文学に興味のない方も、上手く文学を分析して、社会学から検討するその手腕をぜひ学ばれることをオススメします。

感傷的な・・・

(参考になった人 1/7 人)

この題名はひどいです、この本の上野さんの文章はそんな感じははありません。上野さんにも強いところと弱いところがあるとすれば、弱いところ・・、これは開き直れきれていないところという意味じゃないですよ、弱いところを弱いと認めて耐えている、そんな風に僕には読めました。

解説の高橋源一郎さんも「上野さんは人を切る分だけ自分も傷ついている」といわれていますが、そんな感じが伺える本です。

成熟と喪失―“母”の崩壊

戦後に生きる私たちが、「国家」「歴史」「社会」を語ろうとするとき、私たちの言説のすべては未だ40年前の本書の射程を一歩でも踏み出していないのはないか。そんな風な感情を呼び起こす、魅力に溢れた文芸批評、戦後批評、歴史批評、である。 近代化社会との遭遇によって、私たち日本人は自分たちを取り囲んでいた固有の「自然性」(母)は崩壊した。

またそれと同時に、敗戦により、近代化された社会に必要不可欠な治者(父)も不在の状態になった。つまり、前近代的なドメスティックな「日本情緒」の中に生きることもできず、かといって徹底した近代人として生きていといく選択肢も、困難である。では、私たちはそのような戦後とどのように向き合えばよいのか。 ・・・ひどく簡単にまとめると、本書の批評はこのように展開する。これらの分析が、現在も思想的有効性を有していることは当然だが、著者のどんな困難であっても今自分の目のまえを流れている「同時代という戦後史」になんとか対峙していこうという胆力に私はただただ圧倒される。 「「成熟」するとはなにかを獲得することではなくて、喪失を確認することだからである。だから実は母と息子の肉感的な結びつきに頼っているものに「成熟」がないように、母に拒まれた心の傷を「母なし子牛」に託して歌う孤独なカウボーイにも「成熟」はない。拒否された傷に託して抒情する者には「成熟」などはない。抒情は純潔を守りたい気持ちから、死ぬために大草原を行く「母なし子牛」の群れにその子牛のやさしい瞳とやわらかな毛並みに自分の投影を診ようとするナルシズムが生まれるからである。」(P32) 「さらにわれわれはどこかに「ウソ」を感じながら新しい異邦人である「父」の強制する世界をうけいれ、どこかにかすかな痛みを覚えながら「母」を、つまりわれわれが慣れ親しんできた生活の価値を否定した。われわれがこのような「裏切り」をおかしていることはどんな心理操作によってみ消えはしない。」(P176) ここには存在しない「過去の日本」をなんのあてもなく夢みることも、アメリカにより与えられた近代を「8月革命」としてさも自分たちの所与のものであるかのように思い込むことも江藤は決して許さない。それらは、等しく今ここにある「戦後」から目をそむけ、自分語りを国家に対して反映させているだけの、ナルシズムに過ぎないからだ。 「「父」に権威を付与するものはすでに存在せず、人はあたかも「父」であるかのように生きるほかないのかもしれない。彼は露出された孤独な「個人」であるにすぎず、その前から実在は遠ざかり、「他者」と共有される沈黙の言葉の体系は崩壊しつくしているのかもしれない。彼はいつも自分ひとりは立っていることに、あるいはどこにも自分を保護してくれる「母」が存在し得ないことに怯え続けなければならないのかもしれない。だが、近代のもたらしたこの状態をわれわれがはっきりと見定めることができ、「個人」であることを余儀なくされている自分の状態を直視できるようになったとき、あるいはわれわれははじめて「小説」というものを書かざるを得なくなるのかも知れない。(P250) 最終部で結論として示されるこの文章はそれでの明晰な文体とは一線を画し、「知れない」という迷いが留保されている。しかし、だからこそ輝きを放っている。 第二の父(アメリカ)に帰依するのでもなく、不在のあるべき父(日本)を待望するのでもなく、【あたかもあるかのような仮構の父】を思い描くことで、「父」の不在に耐えるしかないのではないか。母が崩壊し前近代的日本の自然や情緒の中で生き得ない私たちが成熟するためには、人工的な環境の中で生きながら枯死しないためには、ここからしか血路は開かれないのではないか。私は、この文章から江藤のこんな煩悶を確かに聞いた。 本書の解説で上野千鶴子が指摘したり、『アメリカの影』で加藤典洋が指摘するように、1967年のこの江藤の認識は、その後さらに加速する高度経済成長に耐えられなかったのかもしれない。 だが、<仮構の父>を懸命に思い描くことで、懸命に戦後史という「今、ここ」にとどまり続け、ありはしない父と<一体化>するのを避けようとした、江藤の歴史意識に私はとても強く惹かれる。歴史観や国家観などというものを私たちが語ろうとすれば、それはどんな時代でも、今ここを流れている歴史との対話することで軋みをあげた自らの軋みを記述することから始めるしかないのだ。 私はそういう、「世界観」ならぬ「世界意識」というものを江藤淳から教わった。

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出来事

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  • 己巳(つちのとみ/いっし)
  • みどし

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