■ 『インド』の解説
インド共和国(略称:インド、, )は南アジアに位置し、インド亜大陸を占める連邦共和国である。パキスタン、中華人民共和国、ネパール、ブータン、バングラデシュ、ミャンマーとは陸上で、スリランカ、モルディブ、インドネシアとは海上で国境を接する。
概要
南アジア随一の面積と世界第2位の人口を持つ大国である。10億人を超える国民は、多様な民族、言語、宗教によって構成されている。州境を越えるとまったく違う言語が話され、それぞれの文化芸術があるため欧米ではよく「インドは国と言うより大陸である」と表現される。中央政府とは別に各州に政府があり大臣がいる。主な言語だけで15を超えるためインド政府が発行する紙幣には17の言語が印刷されている。ヒンドゥー教徒が最も多く、ヒンドゥー教にまつわる身分制度であるカースト制度の影響は今でも残っており、複雑な身分制社会を形成している。貧困に苦しむ人が多い国であるとされるが、近年の経済発展のおかげで低所得者層の生活も改善されつつあるとする見方もある。
1947年のイギリスの植民地からの独立の際、それまでのインドは、インドとパキスタンに分裂した。その後、パキスタンの飛び地となっていた「東パキスタン」が1971年にバングラデシュとして独立している。
名称
正式名称は、(ヒンディー語。ラテン文字転写は、Bhārat。読みは、バーラト)。英語による国名は、India(インディア)。
政体名を付け加えた、ヒンディー語の भारत गणराज्य(ラテン文字転写:Bhārat Gaṇarājya)、英語の Republic of India を正式名称とする資料もあるが、憲法その他の法的根拠に基づくものではない。
日本語による表記は、インド/印度。これもまた政体名を付加して、インド共和国とされることもある。また、連邦制をとっていることから、インド連邦としたり、稀にインド連邦共和国とされることもある。1947年の独立から1950年に大統領制に移行するまでの期間をインド連邦もしくはインド連合、それ以降をインド共和国、と使い分けることもある。
歴史的に哲学が盛んな国であり、多くの優れた哲学者を生んだ。そのため聖賢の国とも呼ばれている。
ヴェーダ時代からラージプート時代まで
紀元前2600年頃から前1800年頃までの間にインダス川流域にインダス文明が栄えた。前1500年頃にアーリア人がパンジャーブ地方に移住。後にガンジス川流域の先住民を支配して定住生活に入った。アーリア人は、司祭階級(バラモン)を頂点とした身分制度社会(いわゆるカースト制度)に基づく社会を形成し、それが今日に至るまでのインド社会を規定している。
前4世紀、パータリプトラ(華氏城、現在のパトナ)を都とする最初の統一国家であるマウリヤ朝マガダ国が成立し、2世紀頃には、デカン高原にサータヴァーハナ朝がローマ帝国との海上交易で繁栄。5世紀は、グプタ朝が北インドを統一し、サンスクリット文学がさかんになる一方、アジャンター石窟などの優れた仏教美術が生み出された。これらの古代王朝の後、7世紀からはラージプートの諸王朝が分立。エローラ石窟群やカジュラーホーなどが建設された。
北インドのイスラム化と南インドのヒンドゥー王朝
11世紀初めより、ガズナ朝、ゴール朝などのイスラムの諸王朝が北インドを支配するようになった。13世紀よりデリーに都を置くデリー・スルタン朝が北インドを支配し、14世紀初頭には、デカン遠征を行い、一時は全インドを統一するほどの勢いを誇った。一方、南インドでは、10世紀後半ころからタミル系のチョーラ朝が貿易で繁栄し、11世紀には東南アジアのシュリーヴィジャヤ王国まで遠征を敢行した。その後、14世紀後半から16世紀初頭にかけてヴィジャヤナガル王国が栄えた。1498年にヴァスコ・ダ・ガマがカリカットへ来訪したことを契機に、ポルトガル海上帝国も沿岸部に拠点を築いた。
ムガル帝国
16世紀、ティムール帝国の末裔であったバーブルが北インドへ南下し、デリー・スルタン朝を倒してムガル帝国を立てた。ムガル帝国は、インドにおける最後にして最大のイスラム帝国であった。3代皇帝のアクバルは、ヒンドゥー教徒との融和を図るとともに統治機構の整備に努めた。しかし、6代皇帝のアウラングゼーブは、従来の宗教的寛容策を改めて厳格なイスラム教スンナ派に基づく統治を行ったために各地で反乱が勃発、帝国は衰退にむかった。
ムガル帝国の没落に伴い、イギリスがインドに台頭してきた。ベンガル地方の徴税権を獲得したことを皮切りにイギリス東インド会社主導の植民地化が進行した。19世紀前半にはイギリスの対インド貿易は自由化され、イギリスから機械製綿織物がインドへ流入。インドの伝統的な綿織物産業は破壊された。さらに、近代的な地税制度を導入したことも、インドの民衆を困窮させた。ムガル帝国の滅亡(1855年)の後、1877年にはイギリス領インド帝国が成立した。
イギリス統治時代
イギリスはインド統治に際して分割統治の手法をとった。インド人知識人層を懐柔するため、1885年には諮問機関としてインド国民会議を設けた。しかし、民族資本家の形成に伴い反英強硬派が台頭したこと、ベンガル分割令への憤りなどから反英機運が一層強まった。こうした中、イギリスは独立運動の宗教的分断を図り、親英的組織として全インド・ムスリム連盟を発足させた。
第一次世界大戦で、自治の約束を信じてイギリスに戦争協力したにもかかわらず裏切られたことや、日露戦争における日本の勝利(非白人国家による白人国家に対する勝利)などの影響を受けて民族自決の理念が高まったことに影響され、インドではさらに民族運動が高揚した。
マハトマ・ガンディーの登場は、いままで知識人主導であったインドの民族運動を、幅広く大衆運動にまで深化させた。ガンディーが主導した非暴力独立運動は、イギリスのインド支配を今まで以上に動揺させた。第二次世界大戦では国民会議派から決裂したチャンドラ・ボースが日本の援助でインド国民軍を結成し、独立をめざす動きも存在した。
独立
戦後、インド内のヒンドゥー教徒とイスラム教徒の争いは収拾されず、1947年8月15日、イスラム教国家のパキスタンとの分離独立となった。初代首相にはジャワハルラール・ネルーが就任した。独立当初はイギリス国王を君主に頂く英連邦王国(インド連邦)であり、1950年に共和制に移行した。政教分離の世俗主義という柱で国の統一を図った。
インド憲法に書かれた正式国名は「Indian Sovereign Socialist Secular Democratic Republic」であり社会主義共和国を標榜している。独立後は他の社会主義国ほど義務教育の完全普及や身分差別廃止の徹底はうまくいかず、近年においても小学校さえいけない子も多く貧富の差も激しいが、不可触賎民出身の大統領(コチェリル・ラーマン・ナラヤナン)や大臣(アンベードカル)も出るなど特例も出てきている。
東西冷戦時代は、非同盟運動に重要な役割を果した国であった。長期にわたって国民会議派が政権を担った。パキスタンとの対立はその後も続き、カシミール問題と東パキスタンを原因として、3度の印パ戦争が勃発した。両国の対立は現在も続いている。
現代
1990年代よりインド人民党が勢力を伸ばしアタル・ビハーリー・ヴァージペーイー政権が誕生した。ルック・イースト政策を掲げてアジア諸国との関係も重視。中立非同盟とはいえ、アメリカ、イギリスとも友好な関係をとっている。一方で、中国、パキスタンとは、緊張関係にある。近年はITサービス業を中心に経済成長を続け、ロシア、ブラジル、中国とともにBRICsの一角として注目を集める存在となり、IT分野においてはその技術力が欠かせない存在となっている。
地理
インドの陸地はほとんどがインド洋に突き出した南アジアの半島上にあり、南西をアラビア海に、南東をベンガル湾に区切られて7000kmの海岸線をもつ。多くの地域では雨期が存在し、三つの季節、夏、雨期、冬に分けられ、雨期を除いてほとんど雨の降らない地域も多い。北インド・中央インドはほぼ全域に肥沃なヒンドスタン平野がひろがり、南インドのほぼ全域はデカン高原が占める。国土の西部には岩と砂のタール砂漠があり、東部と北東部の国境地帯は峻険なヒマラヤ山脈が占める。インドが主張するインド最高点はパキスタンと係争中のカシミール地方にあるK2峰(標高8,611m)である。確定した領土の最高点はカンチェンジュンガ峰(同8,598m)である。気候は南端の赤道地帯からヒマラヤの高山地帯まで多様性に富む。
政治
国家元首は、大統領である。実権はなく、内閣の助言に従い国務を行う。議会の上下両院と州議会議員で構成される選挙会によって選出される。任期5年。
副大統領は、議会で選出される。大統領が任期満了、死亡、解職で欠ける場合は、副大統領の地位のままその職務を行う。任期は大統領と同じ5年だが、就任時期をずらすことで、地位の空白が生ずることを防止する。また、副大統領は、上院の議長を兼任する。
行政府の長は、首相で、下院議員の総選挙後に、大統領が任命する。閣僚は、首相の指名に基づき、大統領が任命する。内閣は下院に対して連帯して責任を負う(議院内閣制)。
議会は、両院制で、州代表の上院(ラージヤ・サバー)と、国民代表の下院(ローク・サバー)とで構成される。上院は、245議席で、233議席を州議会議員による間接選挙で選び、12議席を大統領が有識者の中から指名する。任期は6年で、2年ごとに3分の1ずつ改選。下院は、545議席で、543議席を18歳以上の国民による小選挙区制選挙で選出し、2議席を大統領がアングロ・インディアン(イギリス系インド人:植民地時代にイギリス人とインド人との間に生まれた混血のインド人、もしくはその子孫の人々)から指名する。任期は5年だが、任期途中で解散される場合がある。有権者の人口が多いため、選挙の投票は、5回にわけて行われる。2004年の下院選挙は、4月20日に第1回の投票が行われ、5月13日に開票された。
インドの政治を軍事の面から見てみると、インドの軍事制度は非常に安定している。特に、シビリアン・コントロールがアジアでも有数と言えるほどに徹底されている。
インド下院(定数545)の議員を選ぶ総選挙が2009年4月16日にはじまり、5月13日まで5回に分けて実施された。有権者は約7億1400万人。選挙結果は5月16日に一斉開票され、国民会議派は206議席を獲得、連立による過半数獲得を模索している。インド人民党(BJP)は116議席を獲得した。
他国との関係
宗教の違いや国境紛争で伝統的に隣国パキスタンとはかなり関係が悪く、国境紛争やチベット侵攻などで中華人民共和国とも関係は悪い。
領土紛争
カシミール地方のインドとパキスタン・中国との間で領土紛争があり、特にパキスタンとは激しい戦闘が繰り返され(印パ戦争)現在は停戦状態にある。インドの主張するカシミール地方は、ジャンムー・カシミール州となっている。
これとは別に、インド東部アッサム州北部のヒマラヤ山脈南壁は中国との間で領土紛争があったが中国側が自主的に撤退し、現在はインドのアルナーチャル・プラデーシュ州となっている。
日本との関係
近代以前の日本では、中国を経由して仏教関連の情報とともにインドについての認識があったが、情報は非常に限られていた。そのころはインドのことを天竺と呼んでいた。また日本・震旦(中国)・天竺(インド)をあわせて三国と呼ぶこともあった。
第二次世界大戦ではインド国民会議派から分派した独立運動の指導者チャンドラ・ボースが日本軍の援助の下でインド国民軍を結成し、日本軍とともにインパール作戦を行ったが、失敗に終わった。他方、この独立運動は日本の食文化にも影響を与えている。チャンドラ・ボースの他にも、日本を基盤として活動した独立運動家にはラース・ビハーリー・ボース(中村屋のボース)やA.M.ナイルなどがいた。彼らは独立運動の傍らで、それまでヨーロッパ式やその亜流である軍隊食方式のものが席巻し、発祥地インドのそれとはおよそ異質な食べ物であった日本のカレーライスに、本格的なインド式カレーの製法を持ち込んだ。これらはボースが製法を伝授した新宿中村屋や、ナイルが戦後経営したナイルレストランの名物メニューとして現在も知られるとともに、戦後日本のカレー食文化、カレー製品に与えた影響も決して小さなものではない。
1948年、第二次世界大戦の極東軍事裁判において、インド代表判事パール判事(ラダ・ビノード・パール、1885年1月27日 - 1957年1月10日)はイギリスやアメリカが無罪なら、日本も無罪であるとして、日本無罪論を発表した。また1951年のサンフランシスコ講和条約には欠席し、これについて国会演説においてインド初代首相ネルーは「彼ら(日本)は謝罪が必要なことなど我々には何一つしていない。それ故に、インドは(サンフランシスコ)講和会議には参加しない。講和条約にも調印しない」と述べた。1952年4月に国交が樹立し、6月9日に平和条約が締結された。
日本政府は「価値観外交」を進め2008年10月22日には、麻生太郎、シン両首相により日印安全保障宣言が締結された。
日本の閣僚としては、2000年に森喜朗総理大臣(8月18日~26日の東南アジア訪問の一貫)、2005年に小泉純一郎総理大臣(デリー)2006年1月に麻生太郎外務大臣(デリー)、2006年アジア開発銀行年次総会の際に谷垣禎一財務大臣(ハイデラバード)、2007年1月に菅義偉総務大臣(デリーとチェンナイ)がそれぞれ訪問している。
広島の原爆記念日である毎年8月6日に国会が会期中の際は黙祷を捧げているほか、昭和天皇崩御の際には3日間喪に服した。極めて親日的な国家である。
地方行政区分
インドは 28 の州と, 6 つの連邦直轄地域と、デリー首都圏 (National capital territory of Delhi) から構成される。
ただし、ジャンムー・カシミール州はその全域をパキスタンとの間で、またジャンムー・カシミール州の一部とアルナーチャル・プラデーシュ州のほとんどを中国との間で、それぞれ領有権をめぐって外交・国際政治の場で激しく争われている。
経済
独立以降、重工業の育成を図り、国内産業保護を政策としていた。冷戦が終わり、1991年に通貨危機をきっかけとしてインド型社会主義の実験を終え、経済自由化に政策を転換した。外資の導入、財政出動などにより、経済は成長を遂げた。2003年にはゴールドマン・サックスがレポートで、中国やロシアとともにBRICsと呼び成長を続ける新興国として注目されるようになる。2007年には同じくゴールドマン・サックスが「インド経済が今世紀半ばに米国を追い抜き、中国に次ぐ世界2位の経済大国に成長する」とのレポートを出した。しかし、2008年には世界的な経済減速に加え、政府が経済政策に手をこまねいていた(政府債務の増加、進まない経済特区、過度の補助金による市場の歪みと生産性の低さ)ために、経済成長の減速と外資の流出を招いた。
産業構造は、農業、サービス業の比率が高いが、農業が減少しサービス業が伸長する傾向にある。
貿易については、産業保護政策をとっていたため貿易がGDPに与える影響は少なかったが、経済自由化後は関税が引き下げられるなどされ、貿易額が増加、GDPに与える影響力が大きくなっている。主な貿易品目は、輸出が宝石や医薬品、輸入は宝飾製品や原油など。
通貨
ルピー (Rs, Rupee) とパイサ(Paisa、複数形はPaise)。1ルピーは100パイサ。25パイサ未満の通貨はほとんど出回っていない。
1万円は約5500ルピー(2009年2月現在)。
第一次産業
生産量は多いものの、インフラの未整備や中間搾取などがネックとなっている。食料自給率は100%を超えている。また、生産物のうち約30%は廃棄されてしまうという。
こうした中、政府は農業政策として法律の改正や商品取引所の整備、大規模な予算措置をとるなど、農業改革に乗り出している。
また、同業種の工場が集まってクラスターを作る動きもある。津田義和教授(立教大学)の提案を元に生まれたクラスターは、品質管理、生産性の向上に一役買っているという。
ただし、成長を続けるインドの製造業だが、課題も多い(課題を参照)。また、品質についても先進諸国に比べるとまだ高いとは言い難いところがあり、「インド品質」とも呼ばれている。機能は問題が無くても、見た目や細かい部分でまだ品質に劣る。これは原材料の質に加えて、労働者の意識が品質について十分ではないことが要因としてあげられる。
- 自動車産業
ヒンドゥスタン・モーターズやタタ自動車、マヒンドラなどの地場資本の自動車メーカーの他、スズキやルノー、三菱自動車などがこれらの地場資本と提携する形で進出している。自動車生産は1994年が24.5万台であったが、2010年には200万台規模へと急速に拡大する見通しで、原油高の流れにも乗って小型車輸出も順調に拡大している。業界第2位のタタが2008年に30万円程度の超低価格車を生産すると発表したことは、インドの技術力の一定の進歩と低廉な労働市場を世界へ改めて認識させる結果となった。
- バイオテクノロジー
インドというとITが有名だが、バイオテクノロジーの分野にも力を入れている。1986年にはバイオテクノロジー庁が設立された。
主な産業
第三次産業
情報サービス業
1990年代から2000年代にかけてインド経済を牽引していると言われていたITなど情報サービス業は、2000年代後半には優位性が揺らいできている。また、インド国外だけでなくインド国内にも情報サービス業の大きな市場があるにもかかわらず、インド企業は国外ばかりに目を向けているため、国内市場への欧米企業進出を許している。
当初、インド企業の強みであった低コストは、為替変動と国内の人材不足により優位性を失いつつある。加えて、インド企業に仕事を奪われた欧米企業は、インド国内に拠点を設け、技術者を雇うことによって劣勢であったコストの問題を挽回した。同時に、単なる業務のアウトソーシングに留まらず、ビジネスコンサルティング等の高度なサービス提供によって差別化を図っている。外国企業も進出を行っているが、出店に対しては政府による法規制が行われている。背景には、多数の零細個人商店、行商人が職を失うのではないかという問題がある。これら既存の小売業者は、大規模スーパーをインドへ進出させようとしている外国企業(カルフールやウォルマートなど)に対し抗議運動を活発化させている
- また、経済特区を設置し、障害が最小限のレベルですむようにすることによって、海外企業の工場進出を促した。2007年現在、約300の経済特区がある。以下に一例を挙げる。
言語
インドはヒンディー語を連邦公用語とする。ヒンディー語圏以外では各地方の言語が日常的に話されている。インドで最も多くの人に日常話されている言葉はヒンディー語で、約4億人の話者がいると言われ、インドの人口の約40%を占める。800種類以上の言語が話されているインドでは、地域が異なればインド人同士でも意思疎通が難しい場合もある。植民地時代に家で英語しか使わず子供を育てたなどで、英語しか話せない人もいる。しかし一方で、地域や階級によっては英語がまったく通じないこともしばしばである。1991年の国勢調査によると、178,598人(調査対象者の0.021%)が英語を母語にしており、9000万人以上(同11%)が英語を第一、第二、ないし第三の言語として話すとしている。
憲法には憲法施行(1950年)後15年で英語を公用語から除外するとしている。現在、憲法はヒンディー語で翻訳され、正文とされているが、現実には15年を経過しても英語を除外することができず、公用語法において英語の使用を無期限延長することとしている。ただし英語離れとでも言うべき動きは進んでおり、すでにボンベイ、カルカッタ、マドラスという大都市さえも、それぞれムンバイ、コルカタ、チェンナイという現地語の名へと公式に改められた。こうした傾向はインド国内でのナショナリズムの拡大・浸透が続く限り進むものと見られるが、連邦公用語のヒンディー語は未だ全国に浸透していない。特にインド南部タミル・ナードゥ州などではヒンディー語を連邦公用語とすることへの反発が強い。
インドの言語は北部のインド・ヨーロッパ語族インド語派と南部のドラヴィダ語族に大きく分かれる。ドラヴィダ語族の言語は主に南部のアーンドラ・プラデーシュ州、カルナータカ州、ケーララ州、タミル・ナードゥ州で話され、それ以外の地域がインド・ヨーロッパ語族に含まれる。この様に北部と南部とで言語が大きく異なっているため、インド・ヨーロッパ語族に含まれるヒンディー語がドラヴィダ語族の人々への浸透の遅れる原因ともなっている。
近年(1980年代以降)のヒンドゥー・ナショナリズムの高まりと共に、サンスクリットを公用語にしようという動きも一部で高まっている。もともと中世以前においてはインド圏の共通語であったと考えられているサンスクリットは、各地方語の力が強まりその役割が果たされなくなった後も、上位カーストであるブラフミンの間では基礎教養として身に付けられてきたという経緯がある。しかし古い言語であるだけに、現在(学者・研究者による会議の席上や特殊なコミュニティー等を除けば)日常語として話している人はほとんど居らず、またその複雑さ故に同言語の学習に多年を要することなどもあり、実際の普及は滞っているのが現状である。
インドの公用語
多言語社会であるインドにおいて、国家が国民統合を推し進める上で、また実際に行政運営を行う上で言語は常に重要な位置を占めている。当初独立運動の過程では、植民地の行政言語(公用語)であった英語に代わって、北インドを中心に広く通用するヒンドゥスターニー語を新たに独立インドの象徴として積極的に採用していこうというガンディーらの意見があった。その流れを受けて、独立後制定されたインド憲法の第343条では、ヒンドゥスターニー語の流れを組むヒンディー語が連邦公用語として規定されている。これに対しては憲法起草段階から現在に至るまで南部のタミル・ナードゥ州を中心に反対意見が根強いが、連邦政府はおりにつけ各地でヒンディー語の普及を推し進めている。
それ以外にもインド憲法条文(第8付則、および憲法修正第92法を参照)には以下列挙する「22の言語」が明記されている。しかし、これら22言語(通称「第8付則言語」)は、憲法によって「公用語」として規定されているわけではなく、あくまで「公的に認定された言語」という曖昧な位置づけに留まっている。例えば、サンスクリット語やシンディー語などはいずれの州でも公用語として採用されておらず、また逆にミゾラム州の公用語の一つであるミゾ語などは、この22言語の中に含まれていない。
- アッサム語
- ウルドゥー語
- オリヤー語
- カシミール語 (ジャンム・カシミール州に話者がいるが、州の公用語とはしていない)
- カンナダ語
- グジャラート語
- コーンカニー語
- サンスクリット語 (古典言語であるため日常語としての話者はほとんどいない)
- サンタル語
- シンディー語 (グジャラート州に話者がいるが、州の公用語とはしていない)
- タミル語
- テルグ語
- ドグリ語
- ネパール語
- パンジャーブ語
- ヒンディー語
- ベンガル語
- ボド語
- マイティリー語
- マニプリ語 (マニプル州の第二公用語としてのみ使用されている)
- マラーティー語
- マラヤーラム語
各州及び連邦首都圏・連邦直轄地で公用語(第二公用語は除く)となっている言語は以下のとおり。
憲法第8附則に明記されている言語、および連邦公用語は太字で示してある。
- アッサム州 (アッサム語)
- アルナーチャル・プラデーシュ州 (英語)
- アーンドラ・プラデーシュ州 (テルグ語)
- ウッタラーカンド州 (英語、ヒンディー語)
- ウッタル・プラデーシュ州 (ヒンディー語)
- オリッサ州 (英語、オリヤー語)
- カルナータカ州 (カンナダ語)
- グジャラート州 (グジャラート語、ヒンディー語)
- ケーララ州 (マラヤーラム語)
- ゴア州 (コーンカニー語、マラーティー語)
- シッキム州 (ネパール語)
- ジャールカンド州 (ヒンディー語)
- ジャンムー・カシミール州 (簡易ウルドゥー語)
- タミル・ナードゥ州 (タミル語)
- チャッティースガル州 (ヒンディー語)
- トリプラ州 (ベンガル語、カク・バラク語)
- ナガランド州 (英語)
- 西ベンガル州 (ベンガル語)
- ハリヤーナー州 (ヒンディー語)
- パンジャーブ州 (パンジャーブ語)
- ビハール州 (ヒンディー語)
- ヒマーチャル・プラデーシュ州 (ヒンディー語)
- マディヤ・プラデーシュ州 (ヒンディー語)
- マニプル州 (マニプリ語)
- マハラシュトラ州 (マラーティー語)
- ミゾラム州 (ミゾ語)
- メーガーラヤ州 (英語)
- ラージャスターン州 (ヒンディー語)
連邦首都圏と連邦直轄地域
- デリー首都圏 (ヒンディー語)
- アンダマン・ニコバル諸島連邦直轄地域 (英語、ヒンディー語)
- ダードラー及びナガル・ハヴェーリー連邦直轄地域 (英語)
- ダマン・ディーウ連邦直轄地域 (英語、グジャラート語)
- チャンディーガル連邦直轄地域 (英語)
- ポンディシェリ連邦直轄地域 (タミル語、テルグ語、マラヤーラム語)
- ラクシャディープ連邦直轄地域 (英語)
宗教
多くの人はヒンドゥー教徒で、それにまつわる身分差別であるカースト制度の影響は今でも残っている。インド軍内においても出身地別の部隊であったり、士官学校にいけるカーストが限定されているなど軍隊組織にもカースト制度の名残がある。
イスラム教徒もインド国内に多数おり、その数ではインドは世界第3位のイスラム教国となり、(1位インドネシア、2位パキスタン)ヒンドゥー教から一方的に迫害されることはないが、ヒンドゥー教徒の力が強いためにイスラム教徒との勢力争いで、暴動が起きることもある。そのためイスラム教徒がヒンドゥー教の寺院を破壊したり、その逆にヒンドゥー教徒がイスラム教のモスクを破壊したりといった事件も後を絶たない。
インドの人口に占める各宗教の割合: ヒンドゥー教徒80.5%、イスラム教徒13.4%、キリスト教徒2.3%、シク教徒1.9%、 仏教徒0.8%、ジャイナ教徒0.4%(2001年国勢調査)
ヒンドゥー教
ヒンドゥー教は最大の信徒数を誇る。そのため、牛や猿を神聖化する習慣やカースト制度などインド社会への影響は大きい。イスラム原理主義やイスラム過激派・テロ、またイスラム国家のパキスタンとの対立に刺激されて、ヒンドゥー教原理主義が登場している。インドでのヒンドゥー教徒の割合は1961年に83.4%であったが2001年には80.5%である
キリスト教 トマス派
インドのキリスト教徒の多くはローマ・カトリック教会に属しており、インド南部のゴア州やケーララ州などに集中している。これはイギリス統治時代以前のポルトガルの交易による影響が大きい。インドでは東方教会の一派であるトマス派が存在しており、マイノリティであるものの、一定の影響力を維持してきた。これとは断絶する形で、イギリスの植民地化以降はカトリックやプロテスタント諸派の布教が進み、トマス派を含めて他宗派の住民が改宗した。
仏教
仏教発祥の地であるが、5世紀から12世紀の間に衰退、十三世紀初頭のイスラム教徒によるビクラマシーラ大僧院の破壊により、僧院組織は壊滅的打撃をうけ、インド仏教は、ベンガル地方でベンガル仏教徒とよばれる小グループが細々と命脈を保つのみとなった。一説では東南アジア、東アジアに仏教が広まったのは、インドで弾圧された多くの仏教関係者が避難したことが理由としてあげられる。
カシミール州のラダック地方、ヒマーチャルプラデーシュ州の北部、シッキム州など、チベット系住民が居住する地方では、チベット仏教が伝統的に信仰されている。
1956年、インド憲法の起草者の一人で初代法務大臣を務めたアンベードカルが死の直前に、自らと同じ50万人の不可触民と共に仏教徒に改宗し、インド仏教復興の運動が起こった。現在は日本人僧の佐々井秀嶺がアンベードカルの正式な後継者と認められ、インド仏教運動を継続している。近年、ヒンドゥー教のカーストを嫌う不可触民や下層階級の人々がヒンドゥー教から仏教に改宗する動きがあり、公式統計では仏教徒は人口の0.7%(約700万人)に達している。インドでの仏教徒の割合は1961年に0.7%であったが2001年には0.8%である
文化
日本人が持つインドのイメージは一般的には食料品のカレーの国であり、暑く、階層があり、男性はターバンを女性はサリーをまとった人々が住む国と感じている場合が多い。この理由はインドを単純に南北に分けた場合、首都ニューデリーやガンジス川を含む北インドの情報が多く南インドの情報が少ないことに帰因している。
思想
インドにおいて発達した思想は、法(धर्म ダルマ)・利(अर्थ アルタ)・愛(काम カーマ)の三つ、あるいはこれらに解脱(मोक्ष モークシャ)を加えた四つを主題として展開してきた。法は主にヴェーダに述べられる祭式とそれにまつわるバラモン等の四つのヴァルナの正しい生き方に関わり、利は主にクシャトリヤの国王を中心とした国家の正しい運営方法あるいはあり方に関わり、愛は格好よさ・夫婦の生活・性交・遊女など広く男女の間柄についてのあり方に関わっている。また解脱とその前提となる輪廻(संसार サンサーラ)は、人間の死後のあり方に関わっており、インドにおけるほとんどすべての宗教思想や哲学と密接な関係にある。
教育
インドにおける教育はサンスクリット経典の教育など古くからの伝統を有するが、現在行なわれている学校教育は伝統的なものとはかなり異なる。
映画・音楽
インド国内では各地方の言語でそれぞれ独自に映画が制作されていることもあり、インドは世界で最も多くの年間映画制作本数をほこる国である。また同様に音楽も各言語ごとにアーティストがおり、独自のアルバムが制作される。それぞれの言語(州)ごとに音楽や映画の活動家が存在する。
特に北部を中心にインド全土で上映されるヒンディー語による娯楽映画は、その制作の中心地であるムンバイの旧名ボンベイとアメリカのハリウッドをもじって「ボリウッドフィルム」と呼ばれている。様々なタイプの映画があるが、多くはミュージカル要素を含んだ映画で、これらは日本で「マサラムービー」と呼ばれ親しまれている。インドだけではなく西アジア・アフリカ・東南アジア諸国で大変な人気があり、重要な輸出産業のひとつとなっている。欧米でもインド系住民が住む大都市部を中心に人気が広がっている。
おしん、七人の侍などの日本映画も知られている。日本テレビ系番組ウッチャンナンチャンのウリナリ!!にてインド映画を紹介したり、自ら主演する企画があった。この後日本でインド映画が上映されることが多くなったことがある。
祝日
法律で決められ、全国一律に実施される祝日は下記3日。
他に各州によって祝祭日が設けられている場合があり、ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教の祭礼日がある。各企業では法律上の3日を含めて年間10日程度の休日を設けているが、どの日を休日にするかは一律でない。またヒンドゥー教に由来する祭日は太陽暦ではなく、インド特有の太陰太陽暦に基づいており、太陽暦上では2週間程度前後する。各地域で休日とされる日程のうち太陽暦に準拠する日は3回
太陰太陽暦に基づく祝日
またキリスト教の Good Friday(3~4月)も休日として扱われる。この結果一つの会社内でも本社・支店・工場で休日が異なることが多い。8月のクリシュナ祭がデリー本社は休日だがムンバイ支店は営業日で、ガネーシャ祭は逆になるという事が起こる。
スポーツ
インドの国民的スポーツはイギリス統治時代から盛んだったフィールドホッケーで、インドホッケー連盟がナショナルチームを初めとした国内組織を統轄している。ホッケー・ワールドカップでも1975年大会の優勝実績があり、オリンピックでは金が8個、銀1個、銅2個のメダルを獲得している。プロリーグとしては2005年よりプレミア・ホッケーリーグがあり、テレビ中継が開始されている。
国民の人気と言うことではクリケットの人気が高い。ナショナルチームが1983年クリケット・ワールドカップでの優勝などの実績を持つ。インド・クリケット協会(Board of Control for Cricket in India、BCCI)が国内組織を統轄しており、国内大会はドゥリープ杯、デオダール杯などがあり、またトゥエンティ20ルールで運営するインディアン・プレミアリーグ(IPL)、インド・クリケットリーグ(ICL)のプロリーグがある。クリケット・ワールドカップも1987年と1996年大会をインドで開催し、2011年大会も開催予定している。
近年テニスもデビスカップインド代表の人気もあり、急速に人気を博している。北東インド、ベンガル、ゴア、ケララではサッカーも大変人気で、ナショナルチームも南アジアサッカー選手権で何度も優勝している。
インドの伝統的なスポーツであるカバディ、コーコー(kho kho)、ギリ・ダンダ(Gilli-danda)なども全国で広く競技されている。またインド南部ケララ地方古来の武術であるカラリパヤットや、ヴァルマ・カライも行われている。
北京オリンピック(2008年)男子エアライフルでアビナブ・ビンドラーが優勝、個人競技で初めての金メダルを獲得した。
インドはデリーで、1951年アジア大会と1982年アジア大会を開催し、また2010年コモンウェルスゲームズを開催予定している。
2011年には、初めてのF1開催であるインドGPを予定している。ただ、これまでサーキット用地買収や運営する国内モータースポーツ連盟の分裂・混乱などの問題が発生、開催時期は当初の2009年から2010年、そして2011年と延び延びとなっている。なお、インド人のF1ドライバーでは、2005年にジョーダン・グランプリから参戦、2006年と2007年はウィリアムズのテストドライバーを担当していたナレイン・カーティケヤンがいる。
外部リンク
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■ 『インド』に 関連する人気アイテム
深夜特急〈3〉インド・ネパール | ||
インドの様子が分かります(参考になった人 2/2 人)
カルカッタ/ブッダガヤ/カトマンズ/ベナレス/デリーと転々としながらいろんな経験をしている様子が分かります。 筆者が旅行をしている時代のインド/ネパールの状況も分かります。 現在の状況と比較してみたくなりました。 前2巻と比較して、重たい内容も多くなっており、筆者が旅に慣れて現地のいろんな状況を感じ取ることができるようになっていると感じました。 Deep(参考になった人 2/2 人)
とにかく深いインド・ネパール編。第八章の「雨が私を眠らせる」は手紙という表現上も あわせて本当に淡々と描かれているが、それがまたアンニュイな気持ちにさせて、じめじめ した気候を想像すると自分がとけていきそうな気がする。 第九章の「死の匂い」の死体焼き場をポツンと眺めてる著者を想像してると、気が滅入るが そこの描写にあるように不思議な恍惚感が湧いてくる。 インドって国は不思議な国だとは思っていたが、何かこれを気に勉強してみたくなるような もしくは行って見たくなるような変な気持ちになりました。 それにしても貧困に苦しむ子供たちの姿には胸が痛くなるが、本当にちょっとしたきっかけで みせてくれる笑顔などというシーンでは心が温まるね。。。 あとラストの対談ではブッダガヤで出会った此経(これつね)さんと懐かしい回想などをして ましたが、興味深く読めて面白かったです。 |
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ブルー・セーター――引き裂かれた世界をつなぐ起業家たちの物語 | ||
リーダーシップの実例集(参考になった人 1/1 人)
「どんな学問よりも、『共感』『判断力』『焦点』『信念』『忍耐強さ』『勇気』を学ぶこと。」 ジャクリーン(著者)が本書で述べているリーダーとしての資質。 これらの非常に抽象的な言葉が意味する、具体的な行動を、本著は示していると思います。 ジャクリーンの、一貫した、自ら納得するまで、相手の話を聞き、分析する姿勢。 簡単に、不完全な答えに満足することを自ら許さず、何が本当に大切で、そのためにどうするか、 を問い続けること、自らも心掛けたいと思わずにはいられませんでした。 また、1人、1人が希望に向かって「自らを救う解決方法を創りだせる」という信念。 この本に出てくるアフリカの女性たちの強く、たくましく生きる姿から 、改めて、地球のどこに生まれようとも、誰もがよりよい明日への希望と、 それを切り開く可能性をもっていることを胸に刻みました。 最後に、自分が納得できないありのままの現状に向かって闘い続ける勇気。 「リスクをいとわないことと無謀であることの間に、もちろん境界線は存在する。 でも、私の人生を生き切りたい。と願う」という、ジャクリーンの常に行動し、 考え続ける姿勢に、私自身も、立ち止まらず、前に進んでいきたいと強く思いました。 いつ読み返しても、その時の自分に何らかの示唆と、前に進む勇気を与えてくれそうな一冊です。 忍耐強い資本、アキュメンファンドがうまれるまでの物語(参考になった人 7/7 人)
入行して3年でチェース・マンハッタン銀行を退職した著者は、アフリカでのマイクロファイナンス事業に着手し、厳しい洗礼を受けます。アフリカのリーダーたちは北側諸国が自分たちのことを何も知らずに、単に人とお金ばかり送ってくることに憤る。援助に慣れた住民たちは、“どうせ時間がたてばこの人たちは帰るのだから、お金を返さない方が得だ”と思い、借りたお金を返そうとしない。 ともに働いていた仲間が殺されたり、不正に手を染めたりする。盗みは日常茶飯事で、時には警備員も買収される。 これら著者の経験は、開発途上国で何か事業をすることの大変さと、開発途上国で成果をあげるために必要な二つのこと――コミットメントを示すことと相手の動機構造を理解すること――を教えてくれます。 本書でもっとも鮮烈なものの一つは、虐殺のあったルワンダについての記述です。著者は次のように説きます。 「もしルワンダ人の大半が、自分の努力で生活を変えることができ、子供を学校に通わせたり、子供の健康を守ったり、将来の計画を立てたりするだけの収入を得ることができると考えていたら、道徳的に腐敗した政治家達が、ジェノサイドを誘発するほど深く、人々の心に恐怖を吹き込むのはずっとむずかしかっただろう」 ルワンダは、戦前のドイツにも、30年前のカンボジアにも置き換えられると思います。力を持つ側が持たない側を基本的な機会から排除することを正当化する社会では、いつか大きな問題が生じる。いくつかの先進国の現状をみると、背筋の凍る思いがします。 本書のタイトル、『ブルー・セーター』は、著者が中古品店に売った青いセーターをアフリカで見つけたエピソードから。世の中は色々なところでつながっていて、誰かの貧しさをなくすことは、他人のためだけではなく、自分たちのためでもあると、改めて教えてくれる本です。 |
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コウケンテツの韓国料理1・2・3 | ||
かなりオススメ!(参考になった人 3/3 人)
コウケンテツさんの料理本は好きでほとんど持っていますが、韓国料理、辛い物が好きな方に特におススメします。韓国料理がコウさんによって日本人向けにアレンジされていて、とても分かり易く出来ています。実際作ってみましたが、家族にも大好評でした。 おいしいし作りやすい(参考になった人 3/3 人)
韓国のドラマを見て韓国料理を作りたい!と思い立ちこちらの本で初挑戦したのですが、大正解のチョイスでした。 近所のスーパーで簡単に手に入る材料で作れるものばかりで、ナムルやプルコギ、タッカルビ、サバのキムチ煮など次々挑戦できました。 料理の途中の工程も写真入りで載ってるのでイメージしやすいです。 その後他の方の韓国料理本にも挑戦しましたが、「牛肉ダシ粉」とか「パジョリ」とか、「どこに売ってるの?」っていうような材料が点在していて作れるものが少なかったので、初心者にはコウケンテツさんの本をお勧めします。 |
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ベニシアのハーブ便り ― 京都・大原の古民家暮らし Venetia's Ohara Herb Diary | ||
星五つじゃ足りないです!★★★★★★★★★★(参考になった人 4/5 人)
今年の春から田舎に引越し農業を始めました 主人は主に野菜を 私はハーブを育て始め 将来的にはハーブを仕事にしたいなぁと思って いろいろ書籍を買い揃えて勉強しているところですが とうとう出会ってしまいました 最高の1冊に!!(TT) おかげで最近は他のハーブ本を滅多に開かなくなってしまい この本ばかり開いては その度に目から鱗を出しています ハーブを使った 園芸用殺虫スプレー ハーブ虫除けスプレー 虫除けサッシェ ミントとステビアの歯磨きペースト ローズマリーの食器用石鹸水 ソープ ハーブを使った植物の 液体肥料 カモミールシャンプー などの安全な日用品から ハーブを使ったお料理レシピも掲載されていて 更にはコンパニオンプランツの事や ベニシアさんの生い立ちから 日々の生活の事まで 写真もとても美しく 本用にスタイリングされたハーブではなく 生活の中に溶け込んだハーブが 読むたびに目からも癒しを与えてくれます ここで紹介されている 料理や日用品を手作りする度に 生活がよりいっそう豊かになりそうで いつかはベニシアさんみたいな暮らしが出来たらなぁと 夢みながら手にしています 豊かさを感じる本(参考になった人 2/2 人)
叔母の家に遊びにいったときこの本があるのを発見して 読んだのがこの本を知るきっかけでした。 一時期 貴族の生活=豪華な調度品と食器でティータイム を楽しむ と理解していたことがありましたがそれは あくまで、知らない人の妄想にすぎない と思いました。 現代人が、豪華なものの目先にとらわれてそれを魅力と 勘違いして、そういったものを揃えるというのが もはや時代遅れで、エコロジーから遠いところにいる ということも。 。。 一見、便利なデパートで買うできあいのものや、コンビニ のお菓子などは、そういったモノに走る人が重宝するもの ですが、実はそうではないのだなあと思いました。 文章もぎっしり、でも読んだ後に爽やかな風が通り抜けた ように感じるのは、著者の人柄を顕著にあらわしている ようにも思います。 これを読んだ後、私自身が欲しくなって購入しました。 ブランド物が拘りと勘違いしている人が読んだら 恥ずかしくなるかもしれないです。 ものの使い方や利用の仕方など、とても為になりました。 豊かさに気がついた人の幸せそれを知る1冊でした。 |
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■ 『インド』の解説 by はてなキーワード
正式国名: インド共和国 (Republic of India)
・25の州および中央政府に管理された7つのユニオン領地の連邦
大統領:プラティバ・デヴィシン・パティル (Pratibha Devisingh Patil)
2007年7月〜
副大統領:モハンマド・ハミド・アンサリ (Mohammad Hamid Ansari)
首相:マンモーハン・シン (Manmohan Singh)
面積: 3,287,263 平方キロメートル
識字率(1998): 64%
平均寿命(1998): 60歳
公用語: ヒンディー語。英語も日常的に使用。旧宗主国:イギリス。
宗教: 主な宗教は次のとおり:ヒンズー教、イスラム教、ジャイナ教、仏教、シーク教、キリスト教、ゾロアスター教
国花:蓮(ロータス)
国の動物:トラ
祝日(ナショナル・デー): 独立記念日(8月15日)と共和国記念日(1月26日)
通貨: 1ルピー=100パイサ? (1円=約0.40ルピー)
経済指標
GDP成長率: 7%
農 業
電 力
電力発電能力(1998-99): 93,250 (百万ワット:MW)
発電電力量(1998-99): 4,484億 (キロワット:KW-hr)
石炭生産量(1998-99): 292 (百万トン:MMT)
インフラ基盤
鉄道貨物輸送量(1998-99): 430 (百万トン:MMT)
貿 易
輸出(1999-2000): 375億 (米ドル)
輸入(1999-2000): 461.5億 (米ドル)
輸出成長率: 11.6%
輸入成長率: 10.19%
コンピュータ・ソフトウエアの輸出(1999): 43億 (米ドル)
